岡田茂吉師
自然農法に関する論説(抄)

(1998年4月25日改定)

3.自然農法の効果・普及

 肥毒のない清浄な土で稲なら稲を作ると、土の方で稲に適するような成分がわいて来るのです。それは実際神秘な話です。そこで年々土自体に特種な性能ができ、その性能がだんだん発達してゆくのです。ですから素晴しく良い土になってゆくのです。という事は素晴しく肥が効いた土になるのです。肥と言っても今までの肥とは違って、良い意味のもので、つまり神様の作った肥で、それが増えてゆくのです。ですから沢山とれるに決まってます。そういった肥毒のない清浄な土が連作によってだんだん沃えた土になるのです。それですから、今反五俵として、これが反十俵になり二十俵になり三十俵になります。そうなると分蘖が非常に多くなります。それで最も多くなると稲に枝が出て来るのです。だから一本の稲に千粒ぐらい成るようになります。五百粒ぐらいは何でもありません。ですから十俵になり二十俵になるのは当り前です。その方法でゆくと日本は今に米が余って始末に困ってしまうようになります。それこそ今度は輸出の方に苦労しなければならなくなります。そうなると農村天国になります。それで救世教によって病気が無くなったら、農村に病貧争絶無の世界が出来てしまいます。

(御教え集27号 1953年10月16日)


 自然栽培に対する経済的利益をザット挙げて見るが
(一) 肥料代が要らなくなる
(二) 労力が半減する
(三) 収穫が大増量する
(四) 目方が増え、炊き減りがなく、美味である
(五) 虫害が殆んどなくなる
(六) 現在最も悩みの種とされている、蛔虫や其の他の寄生虫問題も完全に解決する
(栄光141号 1952年1月30日)


 此の自然栽培法は一般農作物に対しても同様であって、それらもザットかいてみるが、先ず如何なる野菜でも素晴らしい実績が挙がるのは勿論、例えば薩摩芋なども驚く程巨大なものが出来、一個の目方五、六百匁位はザラであるから、総収穫量も有肥よりも二倍以上は確実である。又豆類も粒が大きく、数量も増えるので、三倍位の収穫は容易である。大根なども色白く、キメ細かく粘っとりとして、ザクザクなどは更になく、頗る美味であり、菜類も色がよく虫喰がなく、軟かで之又頗る美味である。其他玉蜀黍でも、南瓜でも、西瓜等、野菜と名のつく野菜は何でも好く、一々は略すが到底想像だもつかないのである。
(栄光141号 1952年1月30日)


 風水害に遭っても無肥の方は強靭で、倒伏も少なく、倒れても直に起上るが、有肥の方は倒れたままで、大きな被害を被るので、此理由として根を見ればよく判る。無肥の方は毛根が有肥のよりも、ズット多くて長いから、根張りが強い為である。
(栄光141号 1951年1月30日)


 自然栽培で出来たものの素晴らしい美味である。米麦でも野菜でも一度味を覚えたら、有肥栽培の物は到底食う気にはなれなくなる。
(栄光141号 1951年1月30日)


 果実も同様人為肥料を廃めてから、年々収穫が増すと共に質も良好で、多収入となり、皆感謝している。
(栄光141号 1951年1月30日)


 花卉にしても花は大きく色鮮かで美しく、生花などに使う場合、長持がするとて喜ばれている。
(栄光141号 1951年1月30日)


 無肥料の桑の葉で養蚕すると、蚕は病いにかからず、糸質頗る強靭で、光沢良く、其上増産確実であるから、之が全国的に実行されるとすれば、蚕糸界に一大革命を起す事は勿論で国家経済上如何に大なる利益を齎すかは、蓋し測り知れないものがあろう。
(栄光79号 1950年11月22日)


 米でも野菜でも、肥料がなければ――神様がそう言う様に作ってある――保存がきくように作ってある。
(御垂示録5号 1951年12月6日)


 硫安の如き化学肥料は、稲が吸収する以上其劇毒が仮え微量であっても、人間は一日三度宛腹の中へ入れるのだから、不知不識の内に人体に害を及ぼすのは当然である。近代人の罹病率が多くなったのも、そうした原因もないとはいえないであろう。
(栄光141号 1951年1月30日)


 菜食というものの影響――之が非常にある。だから、つまり自然農法も、そうした米にしろ野菜にしろ非常に美味しくなりますから、どうしても多く食べる様になる。そうするとその為に人間に、精神的効果が非常にあると思う。
(御教え集9号 1952年4月25日)


 無肥料の米を食っていると、肥毒が人間に入らないから、曇りが少ないから毒血が少なくなるから、病気も起らなくなる。けれども薬を飲んでは何にもならないがね。そうすると、人間が非常に平和的になる。そうすると、戦争を好まなくなるから、戦争がなくなる。
(御垂示録4号 1951年11月5日)


 自然栽培が国家的の問題になるという事になって、始めて“ではやっぱりそうだ、じっとしては居られない。大いに救世教を、岡田茂吉という人間を研究しなければならない”という事になるわけです。

(御教え集30号 1954年1月26日)


 農業の方が先に分るわけです。そうして医学の方はその次という順序になったわけです。
(御教え集30号 1954年1月15日)


 教えるよりか、実際に良く出来れば“不思議だ、どういうわけだろう”という事になってから、その理窟を言えば直ぐ分ります。さもなければ、なかなか簡単には分りません。
(御教え集30号 1954年1月16日)


 実際方面ですね――各農村で事実を見せると言う事で、ああ之だなと言う事になるから、段々そう言った一つの機運が起って来る訳ですね。
(御教え集7号 1952年2月5日)


 その方が良ければ法律を出さなくても実行します。美味い物と不味い物があって、法律で美味い物を食えと言わなくても、実際に美味ければその方を食べます。
(御垂示録18号 1953年3月1日)


 それからつまり指導者の人などで、まだ徹底してない人が大分あるようです。説明の仕方がまだ弱いのです。これは断乎として、土を清浄にしなければいかんという事を根本にして言わなければならないのです。
(御教え集19号 1953年2月26日)



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