平野 明美

体験発表中の平野明美さん
明主様、日々数々の御守護を賜り誠にありがとうございます。

 私は、小さい頃より神様の御光りをいただき、ただ親の信仰を受け継ぎ御浄霊をいただけば全て守っていただけると思っていました。

 私の信仰は、結婚後大きな岐路に立たされました。私は20才の時、信徒であります主人と結婚いたしました。結婚後すぐに妊娠しましたが、次々と早産を繰り返し、神様のことがわからなくなり、信仰も横道に行ってしまい二進も三進も行かなくなりました。5人目を妊娠しました時、もう一度神様にお縋りさせていただきたいと思わせていただき、待望の子供を授かりました。その子供は成人しておりますが、賜りました御守護を振り返らせていただき、反省と信仰向上に親子ともども努力させていただきたいと思います。

 一番初めの子供は7か月で早産しました。前会長先生は「平野家の因縁をもって行かれたので、後は良くなりますよ」と言ってくださいました。若いからまたすぐに授かるでしょうと、色々の方から慰めていただき、6か月後に2人目を妊娠しました。

 今度こそは大丈夫と思っていました8か月の終り頃にお腹が痛くなりました。産婆さんに診てもらったら子宮が1p開いているからすぐに安静にするように言われました。2、3日後にまた診てもらったら2p開いていると言われました。1日でも長くお腹でもたすように、おフロには入ってはいけませんと言われました。言われるままにして、御浄霊も毎日いただいておりました。
 3週間経って、産婆さんが家に来てくださり、よくお腹でもっていますねと言われました。おフロに入ってもいいと言ってくださったので、おそるおそる母に洗ってもらいさっぱりしました。次の日、11時頃、お腹の奥の方が痛いような気がしてきました。少したつとまた痛くなってきました。もしかしたら生れるのではないかと思ってトイレに行くと出血していました。予定日より35日早く、2200gで生れました。
 生れた時は元気に泣いていましたし、産婆さんもこのまま様子を見ましょうと言ってくださいました。4日目に体重が段々減って来るので、このままではここで世話できないと言われました。主人は体重が2s以下になったら保育器に入れてくださいと言いました。すぐにおフロに入れられ体重を測られました。1980gになっていましたので病院へ連れて行かれました。
 保育器に入れられてから体重も増え調子も良かったので保育器から出されたそうです。病院へ行って4日目の朝、カゼを引いて調子が悪いので来てほしいと電話がありました。主人や母は病院へ駆け付け、ガラス越しに御浄霊をさせていただき、一時小康を得たということでした。その日、夕食の仕度をしている母が鼻をすすっているのでカゼを引いたのと声を掛けましたが、何も返事はありませんでした。実は、その時赤ちゃんが亡くなって迎えに行った後だったとは夢にも思いませんでした。
 3週間経っても病院から何の連絡もなく、家族の者も何も言ってくれませんでした。私はどうしても子供の様子が知りたいので病院へ行こうと思いました。その時、主人が話を切り出しました。まさかと思っていたことが的中しました。3週間も前に亡くなっているなんて、死んだ時、我が子を抱きしめたかったと、私のために知らせなかったことはわかっていても言って欲しかったと、主人を困らせました。母は、主人が亡くなった赤ちゃんを自分の膝の上に乗せて、車を運転して帰って来た辛さをわかってあげなさいと言いました。
 たった1週間の命でした。今も4日間一緒に寝ていた時、私の小指をしっかり握りしめた感触は忘れることはできません。そして私が子供が亡くなっているのを知らない時に、枕元で赤ちゃんの泣き声がはっきり聞えたことと、白い入れ物の中に赤ちゃんが消えていくのを見たことも忘れられません。

 産婆さんは2回早産すると癖になるから、2年間は妊娠しないようにとおっしゃいました。私も主人も皆んな子供が欲しく、2年間は待つことはできませんでした。そしてすぐに3人目を妊娠しました。妊娠早期はいつも異状なく順調です。しかし7か月に入ると私の心も不安になりました。やはり7か月の終りに突然出血しました。出血しているのを見て体が震えました。近くの産院へ行きましたら、やはり赤ちゃんは諦めてくださいと言われました。赤ちゃんは小さいからすぐに生れると言われましたが、待っても待ってもお腹がきつく痛みませんでした。
 異状に気付かれた産婆さんはお医者さんを呼んで来られました。手を子宮の中へ入れられ前置胎盤で赤ちゃんが横向になっていると言われました。待っていても赤ちゃんは生れません。どんどん出血するので帝王切開をすると言われ、市立病院へ向かいました。車の中で気持ち良く眠たくなってきました。その時、お医者さんが寝たらいけないと大声で言ってくださったことを覚えています。2月1日という一番寒い時でした。会長先生も市立病院へ駆け付けてくださいました。手術の用意もできていましたが、お医者さんはもう一度赤ちゃんを出そうとされました。その時の辛さは、たとえようがありません。手を取ってほしいと言っている時、赤ちゃんがつるっと出てきました。最後の土壇場で赤ちゃんを出していただきました。

 その時は、大変な御守護を賜り、私の命を救ってくださったことに気付きませんでした。それどころか赤ちゃんが駄目だったことで、神様への感謝はありませんでした。平野家の因縁だとか、私自身の罪だとかいうことには気付かず「どうして私だけが何回も早産をするのだろう」「育たないのなら初めから妊娠しない方がいいのに」と、神様への不満がつのり、信仰が段々ずれていきました。

 そして1年後、4人目を妊娠しました。今度は大病院で出産しようと思い、日赤にかかりました。やはり7か月に子宮が開き、1か月安静にして8か月の終りに生れてしまいました。先生は子宮が開くと言っても1p位だからこのままで大丈夫だと思ったとおっしゃいました。看護婦さんも私の気持ちを思うと助けてあげたいと思い、先生の反対を押して頭に注射をしたけれども助からなかったので、次の妊娠に期待をかけてくださいと言われました。

 私は人に会うのもいやで、近所の人から声をかけられるのもいやでした。結婚して4年間、悲しいことばかりで「子供が因縁をもって行かれたので良くなりますよ」と言ってくださった前会長先生のお言葉も信じられない思いでした。平行して母の浄化もいただき、神様から段々遠ざかっていました。そして母が亡くなり、実家へ帰りがちだった私は、主人と気持ちがしっくり合わなくなってきました。早く結婚したことを後悔する日々が続き、10か月経った頃、5人目の妊娠に気付きました。
 今度は、以前お世話になった産院にもう一度行きました。今までのことはよく知っておられるので、5か月になったら子宮を括るというように言われました。その時、それまで神様を信仰させていただきながら、人間の考えに合わせるというように、中途半端な信仰をさせていただいていたことに気付き、今度は神様に一生懸命お縋りさせていただきたいと思いました。しかし主人は反対でした。主人はお医者の言う通りにしてほしいと言い、私の思うようにして駄目だったら責任を取るように言いました。「責任て離婚することなの」と言ったら、うなずきました。私はもしこの子が流れるのなら、平野家とは縁がなかったものと思い、神様にお任せさせていただこうと思いました。

 それまでのいろいろなことを会長先生に全部お話しさせていただき、御指導いただきました。明主様にもう一度お縋りさせていただきたく、お詫びをさせていただきました。この時より、毎朝、教会の朝拝に御参拝させていただき、前会長先生より毎朝御浄霊をいただくことができるようになりました。また、少しの時間ですが教会のお庭の掃除もさせていただけるようになりました。

 5か月を過ぎても子宮を括りなさいとは言われず、8か月まで異状なく過ぎました。8か月の終り頃、もう大丈夫だろうと思い検診に行きました。やはり子宮が開きかけていると言われ、このままだったら1週間もしたら生れるとおっしゃいました。またも安静にするように言われました。

 死の宣告を受けたような気持ちで神様に御守護のお願いに御参拝させていただきましたら、前会長先生より御指導賜ることができました。安静にして子供を生むことは間違っていると御教えを教えてくださいました。母体への影響だけではなく、安静にして寝ていれば、家族の者もまた寝ているのかと思い、その想念が赤ちゃんに影響するともご指導くださいました。日常生活もそれまでと同じようにして、後は神様にお任せして、執着を取りなさいとお教えくださいました。
 この時から、私の心はお任せすることと執着を取ることを一番に考えるようになりました。一日に何回か、こんなことをしても大丈夫だろうかと思ってみたり、またお腹が張ってくると生れるのではないかと思えてきたりしました。そのたびに明主様の御教えを拝読させていただいたり、思い出させていただいておりました。1か月ほど経った頃に、青年宿泊勉強会のお台所を少し手伝うように声を掛けていただきました。家ではそんなに長く台所に立つことはありませんでしたので、お腹はカンカンに張ってきましたが、2日間お許しいただくことができました。体にも自身がついて、神様にお任せさせていただく心が楽になって来ました。
 前会長先生の月3回の御浄霊日には必ず御参拝させていただき、また朝拝では毎日御浄霊をいただき「いかがですか」と優しくお言葉を掛けていただき、待望の10か月を迎えることができました。

 産院から「一度も診察にこないでどうしているのですか。明日は必ず来るように」と電話がありました。翌日、診察に行きましたら、足の浮みが少しあるくらいだと言われました。それよりも、今までどうしていたのかと聞かれました。教会へ行って御浄霊をいただき、家事もそれまでと同じようにしていましたと言いました。産院の先生は黙って聞いてられるだけで、1週間後に必ず来るようにおっしゃり、一度内診をしたいと言われました。
 その結果、赤ちゃんの位置はまだ高いから、まだ生れそうもないと言われました。しかし血圧が160にもなっているので早く赤ちゃんを出さなかったら親も子も危ないと言われました。それまで御守護いただき、ここまでもたせていただいているのにどうしようと思っていると、お医者さんは「一度教会に行って、神様に聞いてきなさい」と言われました。

 教会の夕拝に御参拝させていただき、会長先生から「神様によくお願いしなさい」とおっしゃっていただきました。お願いさせていただいてもすぐには生れないだろうと思っておりましたのに、11時頃トイレにいくと出血しており、びっくりしました。主人と二人、雪のちらつく中、休み休み御参拝させていただき、前会長先生より御浄霊いただきました。そして朝の6時、安産にて出産させていただきました。初めての男の子でした。産婆さんは、神様に護られたのねと言ってくださいました。初めて我が子へ母乳を飲ませることができました。胸の中へ抱くこともできました。やっと母親になれました。

 生れた時は産婆さんは言ってくださいませんでしたが、2年後に女の子を出産した時「今度は元気な赤ちゃんね」とおっしゃいました。その時、初めて知りました。長男が元気でなかったことを。そう思えば会長先生も産院に御浄霊に来てくださり、家に帰ってからも御浄霊に来てくださっていました。何も知らずに元気に生れたものと思っておりました。神様の御光に包まれて、まるまると元気な赤ちゃんに育てていただきました。

 長男が1才位だった頃、御浄霊をいただきに御参拝させていただいた時のことです。会長先生と玄関でお会いして「子供が悪い時だけ教会へ御参拝させていただくようではいけません」とおっしゃいました。「ハイ」と言ったものの、悪い時に行かなかったら何時行くんだろうと思っておりました。申し訳ない想念であったことが思い出されます。

 その後、子供を次々と授かり、4人の子宝に恵まれました。神様から御守護いただいた感謝も薄らぎ、何の御恩報じもさせていただいておりませんのに、子供達は元気に成長させていただきました。

 私が38才になった時、もう一人妊娠していることに気付きました。それまで子供が欲しい欲しいと思っておりましたのに、5人目と知った時に、自分の年令、その他、人間的な理由ばかりが頭に浮かび、心から喜ぶことはできませんでした。そして、できる限り人目にわからないようにしたいと願っておりました。そんな悪い想念が影響して、8か月に逆子になり、予定日になっても生れず、1週間、2週間、3週間待っても生れず、私の想念を反省する日々が続きました。そして28日遅れて逆子のまま生れました。生れた子供は元気がなく、3日目に保育器に入れられ、次の日に亡くなりました。赤ちゃんは片肺が出来ていなかったそうです。11か月もお腹にいるなんて、こんな悪い母親のそばにでもいたかったんだろうかなあと、取り返しのつかないことをしてしまい、この時心から後悔しました。そして、どんな状態であろうとも、子供の誕生を喜び、迎えてあげるのが母親だと思いました。

 4人の子供達は小中学生勉強会、学生錬成会に参加のお許しをいただき、神様の勉強をさせていただき、大きな問題もなく成長させていただきました。

 長女は昨年(1997年)5月に結婚しました。結婚するまでに娘の夫となる人に神様のことをわかってもらえるようにと話はしておりましたが、時間の都合がつかないとかで入信のお許しをいただけませんでした。結婚してから本当にお許しがいただけるか心配しておりましたが、結婚後すぐに入信のお許しをいただき、5月の青年宿泊勉強会には夫婦そろって出席させていただきました。娘婿が青宿から帰って来ました時、9月の青宿も出席させていただくと言っていたのには、私の方がびっくりしました。教会勉強会にも参加のお許しをいただき、御用の日もお許しいただき、どの会にも出席のお許しをいただき、本当に嬉しく感謝で一杯でございます。

 そして、今年の初めのことですが、電気工事の仕事をしている娘婿が、誤って電気の通っている線を切ってしまいました。ペンチがふっ飛び、そのペンチは使えなくなるという事故に遭いながら、当人の体は無傷という御守護を賜りました。

 命をいただいている子供達が、神様のお役に立たせていただける人間に、社会のために役立つ人間にならせていただけますように願っております。これから先、母親としての幹がしっかり神様の御心に叶わせていただけますように、賜りました御守護を忘れることなく努力させていただきたいと思います。御守護の御報告を今までさせていただけず申し訳なく思っておりました。

 明主様、多大な御恵みありがとうございました。

 前会長先生、会長先生、大変お世話になり、ありがとうございました。今後共、私達親子が神様にお使いいただけますよう御指導のほどよろしくお願い申し上げます。

(1998年3月報告)

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