芸術 総論

真善美

吾等の理想とする地上天国とは、真善美完き世界であるのはいつもいう通りであるが、私はこれを一層掘下げてみようと思う それには順序として真からかいてみるが、真とは勿論真理の具現であり、真理とは事実そのものであって、一厘の豪差なく、不純不透明のない正しいあり方を言うのである。処が今日迄の文化に於ては、真理でないものを真理と誤り、真理と扱われて来たのであるから、真理ならざる偽理が余りに多かった事実である。にも拘らずそれに気が附かないというのは、低い学問の為であったのは言う迄もない。何よりも現在の実社会を見ればよく分る如く、殆んどの人間は生きんが為只アクセクと働いているばかりで、そこに何等希望もなく生きているだけの事である。病の不安、生活難、戦争の脅威の中に蠢いているに拘らず、口を開けば進歩した文明世界といっているが、厳正に見て殆んどの人間は獣の如く相争い、啀合い、衝突を事として、不安焦躁の渦巻の中に喘いでいる様は地獄絵巻である。これこそ前記の如く偽真理文化の結果である。これに対し識者でも気が附かず、文明世界と信じ、讃美しているのであるから哀れなものである。

例えば病気にしてもそうだ。医学が真理に叶っていないからこそ、何処を見ても病人はウヨウヨしている。ヤレ結核、ヤレ赤痢、日本脳炎、脳溢血、小児痳痺、何々等数え切れない程病気の種類の多い事である。然もこの逃口上として曰く、昔も色々病はあったが医学が進歩していない為発見が出来なかったが、今日は発見が出来るようになったからであるとしている。それはそれとして、吾等が希う処は病人が減り、健康人が増えればいいので、只それだけである。見よ現代人の病気を恐れる事甚だしく、その為当局も専門家も衛生に注意し、予防に懸命になっているが、滑稽なのは予防注射である。これこそ病を治すのではなく、単なる一時抑えにすぎないというように医学は一時抑えと根治との区別さえ分らないのである。尤も分っても治病方法を知らないから止むを得ないが、然も医学は病気は健康を増す為の神の摂理などはテンデ分らないから、抑える事のみに専念し、これが進歩であると思っている。然も抑える手段が病原となるなどテンデ分らないので進歩すればする程病気が増えるのは見らるる通りである。見よ益々病人が増え、体位が低下しつつある事である。その為疲労や睡眠不足を恐れ、根気なく無理が出来ず、少し過激な運動をすると忽ちヘタバってしまう。滑稽なのは健康の為の運動奨励である。処が事実はスポーツマンの早死や、米国のスポーツマンが、近頃はニグロ系の選手には到底敵わない事実であって、これはどうしたものか実に不可解千万ではないか 処が本教が唱える病理を守り、浄霊を受ければ病魔は退散し、真の健康人となるのは事実が示している。

次に今度は善に就いてかいてみるが、善とは勿論悪の反対である。では悪とは何かというと、これこそ唯物思想から発生した無神論が原因であり、善はその反対である有神論からの発生で、これが真理である。処がこの真理である有神論を否定する事が科学の建前であるから、科学が進歩する程悪は益々増えるのみか文化の進歩といえど上面だけの事である。という様に科学が作る功績も認めるが、科学が作る悪も軽視出来ないのである。それに気附かない人間はプラスのみを讃美し、マイナスの方は巧妙な理論を作って指導階級を虜にし、科学によらなければ何事も解決出来ないというように精神的幸福とは凡そかけ離れてしまったのである。

次は美であるが、これが又問題である。成程文化の発達につれて、美の要素は大いに増し個人的には結構であるが、大衆はそれに預り得ないのである。見よ一部の特殊階級のみが美衣、美食、美邸に恵まれ、庶民階級はやっと食っているにすぎない有様であり、美処ではない、腹を充たすだけの食物、寝るだけの住居、往来するだけの道路、押し合いへし合い、漸く乗れる交通機関(これは日本だけかも知れない)があるだけである。

この様な訳で折角神の大なる恵みである山水草木、花卉類の自然美は固より、人間が作った芸術美等も楽しめない社会である。というようにこれ程文化が発達しながら、人類全体がその恩恵に浴せないとしたら、現代は全く金持の天国、貧乏人の地獄である。この原因こそ文明の何処かに一大欠陥があるからで、その欠陥を是正し公平に幸福が享有されてこそ真の文明世界であって、これが我救世教の使命である。

以上によって真善美の真の意味は分ったであろうが、要はその実現力である。絵にかいた餅や御題目だけでは何にもならない。処が喜ぶべし、愈々その夢が現実となって今やこの地上に現われんとするのである。

地52 1953年9月25日
天国は芸術の世界

私は常に天国は芸術の世界なりといふが、単に之だけでは余りに概念的である。成程美術、文学、芸能等が充実する事も、右の通りで大いに結構ではあるが、本当からいふと凡ゆる芸術が揃はなくてはならない、否芸術化されなければ真の天国とは言えないのである。

私が唱える処の、神霊療法による病気治しにしても、実をいえば立派な生命の芸術である。何となれば芸術なるものの本質は、真と善と美の条件に適はなければならないからである。先づ何よりも病人には真がない、といふのは人間は健康であるべきが真であって、健康を害ねるといふ事は、最早人間本来の在り方ではなくなってゐる。例えばここに一箇の器物があるとする、其器物のどこかに破損が出来るとすれば、其器物の用途は果せない、水が洩るとか、置くと倒れるとか、使ふとすると毀れるとかいふのでは、器物としても真はない、従って何とか修繕して役に立たせるやうにしなければならない、人間もそれと同様、病気の為人間としての働きが出来ないとすれば、無用の存在となって了ふから其修繕をする、それが本教の浄霊である、次に善であるが、人間に善がなく悪のみを行ふとすれば、之も真の人間ではない、動物である、斯かる人間は社会に害を与へるから不要処か、寧ろ生存を拒否しなければならない事になる、然しそれは生殺与奪の権を握られ給ふ神様が行はせられるのである、其結果失敗したり、病気で苦しんだり、貧乏のドン底に落ちたり、中には生命迄も喪ふやうなものさへある。全く神様に審かれるのである。然し単に悪といっても意識的に行ふ悪と、無意識的に行ふ悪とがある以上、その差別に相応の苦しみが来る、其点は実に公平である、最後の美であるが、之は説明の要がない程、判り切った事だから略すが、以上によってみても明かな如く、真善美の具現こそ、此世界を天国化する根本条件である。

従而、吾々が病気を治すのも、農耕法を改革するのも勿論芸術である、前者は前述の如く、生命の芸術であり、後者は農業の芸術である、之に加えて吾等が地上天国の模型を作るのも美の芸術であって、右の三者の合体によって、真善美の三位一体的光明世界が造られるのである、之即ち地上天国ミロクの世の具現である

栄72 1950年10月4日
天国は美の世界

神様の御目標は、真善美完き理想世界を御造りになるのである事は、本教信者はよく知っている処である。としたら其反対である悪魔の方の目標は、言わずと知れた偽悪醜である。今それを解釈してみるが、偽は勿論文字通りであり、悪も説明の要はないが、茲に言いたいのは醜の一字である。

処が世の中には、往々間違えている事がある。というのは醜が真善に附随している例で、之を見た人達は、反って讃仰の的とさえする場合が往々ある。之を判り易くいえば粗衣粗食、茅屋に住み、最低生活をし乍ら、世の為人の為を思って、善事を行っている者も昔から少なくないのである。成程境遇上そうしなければ、生きてゆかれないとしたら、止むを得ないとしても、それ程にしなくとも、差支えない境遇にあり乍ら好んで其様な生活をするのはどうも面白くないと思うが、中には修養の手段として特に禁欲生活をする宗教家も、今迄沢山あったが、斯ういう人は自分もそれが立派な方法であると思い、世人もそれを見て偉い人と思うのであるが、実をいうと此考え方は本当ではないのである。何となれば肝腎な美というものを無視しているからで、つまり真善醜である訳である。此意味に於て人間の衣食住は、分相応を越えない限り、出来るだけ美しくすべきで、之が神様の御意志に叶うのである。何よりも美は自分一人のみの満足ではなく、他人の眼にも快感を与えるから、一種の善行とも言えるのである。第一社会が高度の文明化する程、凡ゆる物は美しくなるのが本当である。考えてもみるがいい、蕃人生活には殆んど美がないではないか。之にみても文化の進歩とは、一面美の進歩といってもよかろう。

勿論個人の場合、男性と雖も見る人に快感を与えるべく適当の美しさを保つべきで、まして女性にあっては、より美しくするよう心掛けるべきである。尤も女性にそんな事をいうのは、反って余計な御世話かも知れないが、マァーそういう理窟であろう。又一家の部屋内もそうで、天井の蜘蛛の巣などにも常に注意を払い、座敷は塵一つないようよく掃き清め、目障りな物は早く片付けると共に、調度、器物なども行儀よく、キチンとして置くようにすれば、第一家族の者は勿論、人が来ても気持よく自然尊敬の念が湧くもので、其家の主人の値打も上るのである。又家の外廓も敢えて金をかけなくともいいが、努めて修理を怠らず清潔にすれば、道行く人にも快感を与えるばかりか、観光国策にも好影響を与える訳である。それに就て彼の瑞西の話であるが同国は狭い為もあろうが、何しろ町も公園も塵一つない程掃除がよく行届き、実に気持がいいと言われている。此国の観光客の多いのも、それが大いに原因しているという事で、之等も他山の石として、大いに参考としてよかろう。

以上によってみても、吾々日本人は、大いに美の観念を養う必要があろう。之によって、小は個人は元より、大にして社会国家に対しても、意想外の好影響を与える事になろう。処がそればかりではない。美の環境によって、社会人心も美しくなるから犯罪や忌わしい事などもずっと減るであろうから、此事だけでも地上天国の一因ともなるであろう。最後に私の事をかいてみるが、私は若い時分から美に関した事が好きで、随分貧乏に苦しみ乍らも、小さな空地へ花を作ったり、暇さえあれば絵を描いたり、出来るだけ博物館や展覧会などへ行き、春は花に楽しみ、秋は紅葉を愛でなどしたものである。そうして今は神様の御蔭で自然に生活も豊かになり、美を楽しむ事も思うように出来ると共に、それが御神業の一助ともなるのであるが、之を知らない第三者から見ると、私の生活は贅沢のように見られるが、之も致し方ないであろう。いつもいう通り、昔から宗教の開祖などと言えば、貧しい生活をし乍ら難行苦行をし教を弘通した事などと比較して、余りに異っているので変に思うであろうが、実はその時代は夜の世界であったから、宗教と雖も地獄にあり乍ら信仰を弘めたのである。処が愈々時期転換、昼の世界となりつつある今日、反対な天国に住し乍らの救いであるから、其点深く考えなければならないのである。

最後に言いたい事は、彼の共産主義であるが、之も目標は地上天国を造るのだそうだが、他の事は別としても、同主義者に限って、美の観念は些かもない事である。としたら同主義が美を採り入れない限り、本当のものでない事が分るであろう。

栄112 1951年7月11日
地上天国の一考察

吾等の言う地上天国なるものを最も判り易くいえば美の世界である、即ち人間にあっては心の美即ち精神美である、勿論、言葉も行動も美であらねばならない、之が個人美であり、個人美が押拡がって社会美が生れる、即ち人と人との交際も美となり、家屋も美はしく、街路も交通機関も公園もより美はしくなると共に美には清潔が伴ふのは勿論で、大にしては政治も教育も経済関係も美はしく清浄となり、国家と国家との外交も美はしくならなければならない 斯ふ考えると、今日の人類社会が如何に醜悪であるかが判るのである、特に下層階級の如きは、美があまりにも欠けている、というのはその原因が経済的に恵まれすぎないからであり、それが又教育の低下ともなり社会施設の貧困ともなる結果、社会不安もそれにハイタイスル訳であらう

茲で特に言いたい事は、娯楽方面である、娯楽方面には大いに美を豊富にしなければならない、というのは美意識こそ人間情操を高める上に役立つものはないからである、吾々が常に芸術を鼓吹するのもそれが為である、現在見る如き芸術芸能の卑猥低俗が如何に人心を頽廃せしめつつあるかは今更言うまでもあるまい

以上の如く美の世界たらしむるに就て、何よりも必要なものは経済力である、国民が貧乏では到底実現などは思いもよらない、然らば経済力を充実させるにはどうすればよいかというと、国民が精一杯働き、生産力を高める事である、それの基本的条件としては何といっても人間個人々々の健康である、これこそ本教の主眼であって、世界に比類ない療病力を発揮しつつある一事で、完全健康人を現に多数造りつつあるに見て明かである

以上によってみても本教にして初めて美の世界樹立の資格を神から与えられたというべきであって、其達成は時期の問題であり、今後世人は本教の動向を刮目して視られん事である

栄65 1950年6月3日
芸術の使命

凡そ世にありとし凡ゆるものは、それぞれ人間社会に有用な役目をもってゐるのである、所謂天の使命である、勿論芸術と雖もその埓外ではない、とすれば芸術家と雖も社会構成の一員である以上、その使命に自覚し、完全に遂行する事こそ真の芸術であり、芸術家の本分でもある

処が、今日一般芸術家をみる時、そのあまりに出鱈目な行動に呆れ返らざるを得ないのである、勿論中には立派な芸術家もないではないが、大部分は自己の本分を忘れてゐるというよりか全然弁えてゐないといった方が当ってゐよう、而も彼等は自分は特別の人間であるかのやうに思ひ、自己の意志通りに振舞う事が個性の発揮であり、天才の発露であるという考えの下に気儘勝手な行動をし恬として恥じないのであるから始末がわるい、又社会も芸術家は特殊人として優遇し、大抵な事は許容しているという訳で、彼等は益々増長慢に陥つるのである

ところが芸術家たるものは、一般人よりも最も高い品性を持さなければならない事である、それを宗教を通じて解説してみよう

抑々人類の原始時代は獣性が多分にあった事は事実で、野蛮時代から凡ゆる段階を経て一歩々々理想文化を建設しつゝある事は何人も疑うものはあるまい、此の意味に於いて文化の進歩とは人間から獣性を除去する事である、故に其程度に達してこそ真の文明世界である、然し乍ら今以て人類の大部分は戦争の脅威に曝されているので、それは獣性が未だ多分に残っているからである、故に此獣性を抜くべき重大役目の中の一役を担っているのが芸術家である

とすれば、芸術を通して人間の獣性を抜き品性を高める事である、勿論文学を通じ、絵画を通じ、音楽、演劇、映画等の手段を通じて、その目的を遂行するのである、それは芸術家の魂が右の手段を介在し大衆の魂に呼びかけるのである、判り易くいえば芸術家の魂から発する霊能が、文学を絵画を楽器を声を踊を通じ、大衆の魂の琴線にふれるのである、つまり芸術家の魂と大衆の魂との固い連携である、故に芸術家の品性が下劣であれば、そのまま大衆も下劣する、芸能家の品性が高ければ大衆の情操も高められるのは当然である

故に芸術の尊さがある、言い換えれば芸術家こそ、魂を以てする大衆の指導者であらねばならないのである

此意味に於て今日の如き社会悪の増加もその一半の責任は芸術家にあるといっても過言ではあるまい

視よ、低俗極まるエロ、グロ文学や妖怪極まる絵画や、低劣なる芸術家が発する声も、奏する音楽も、劇、映画等も心を潜めてよく見れば右の説の誤りでない事を覚るであろう

栄31 1949年10月15日
歌集「山と水」に就て

いつも言う通り、信仰の目的は魂を磨き、心を清める事であるが、その方法としては三つある、一は、難行苦行や災害による苦しみと、二は善徳を積む事と、三は高い芸術によって魂を向上させる事とである、以上の中、最も簡単で、捷径なのは高い芸術による感化である、而も楽しみながら知らず知らずに磨けるのだから、之程結構な事はあるまい

此意味に於て、山と水の和歌を暇ある毎によむ事である、それによって不知不識魂は向上する、魂が向上すれば智慧証覚が磨かれるから頭脳が明晰となり、信仰も楽に徹底する、それというのも山と水の和歌悉くに真善美が盛り込まれているからである

以上の如く、私の目的は、言霊の力によっても信仰を、進めんとするのである

栄61 1950年5月6日
美術の社会化

私は今度美術館を造ったに就ての、根本的意義をかいてみるが、それはいつもいう通り、本教の目標は真善美完き世界を作るにあるので、其中の美を表徴すべく、天然の美と人工の美をマッチさせた、未だ誰も試みた事のない芸術品を造ったのである。そうして其狙い処としては、今日迄外国は別とし、日本という国が世界の何処の国にも劣らない程の、立派な美術品を数多く有ち乍ら、之迄は特権階級の手に握られ、邸内奥深く秘蔵されていて解放する事なく、時々限られた人にだけしか観せないような有様なので、早く言えば美術の独占であり、之が今迄の日本人の封建的考え方であったのである。

此事に就て私は以前から、寔に遺憾に思っており、何とかして此悪風を打破し美術の社会化を図りたいと思っていた。つまり美術の解放であり、一般民衆を楽しませる事である。そうしてこそ芸術の生命を活かす所以でもあると思い心掛けていた処、私が宗教家なるが故に、信徒の献身的努力と相俟って、割合短期間に完成したのであるから、私の長年の希望が達成した訳で喜びに堪えないのである。そうして今日各地に個人美術館はあるにはあるが、それを造った意図は、私の目的とは凡そ異っている。それは富豪や財閥が金に飽かして、自分の趣味の満足と財産保護、名誉慾等の為蒐めた数多い美術品を、将来の維持と安全の為法人組織にしたものであって、夫には一カ年何日以上は、公衆に展観させなければならないという法規によって、春秋二季の短期間申訳的に開催するのであるから、社会的意味は甚だ乏しいと云わねばならない。それに引換へ本美術館は、箱根の気候の関係から十二、一、二の三カ月間だけは休館するが、後は常設であるから、いつでも観たい時には見られるという便宜があり、此点からいっても理想的であろうし、而も本美術館の列品は、美術に関心を持つ人達が一度でもいいから是非観たいと思う様な珍什名器が所狭き迄並べてあるのだから、其人達の満足も大きなものがあろう。又料金も割合低額のつもりであるから、社会福祉の上にも相当貢献出来ると思っている。

そればかりか、現代の美術家で参考品を観たいと思っても、御承知の通り博物館は歴史的考古学的の物が多く、仏教美術が主となっているし、其他の個人美術館にしても支那美術、西洋美術が主であるから、真の意味に於ける日本美術館はなかったのである。而も兎角散逸し勝ちな貴重な文化財保存の上からいっても、大いに貢献出来るであろう。先日も国立博物館長浅野氏や文化財保護委員会総務部長藤川氏等が、参観されての話によるも、斯ういう美術館は現在国家が最も要求している条件に叶っているので、吾々も大いに賛意を表し、援助する考えだから、其つもりで充分骨折って貰いたいとの事なので、私も大いに意を強うした次第である。

最後に特に言いたい事は、将来観光外客も続々日本へ来るであろうし、箱根へ立寄らない外人はあるまいから、本美術館も必ず観覧するに違いあるまいから、此点からも日本文化の地位を高める上に、少なからず役立つ事であろう。それに就て彼の有名なウォーナー博士を始め、有力な外人の参観申込も続々あるので、何れは海外に知れ渡り、日本名物の一つとなる日も左程遠くはあるまいと思っている。そこでそれに応ずべく、目下凡ての充実に大童になっている次第である。

栄168 1952年8月6日
宗教と芸術

今日迄、宗教と芸術とはあまり縁がないように多くの人に思われて来たが、私は之は大いに間違ってゐると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。春の花、秋の紅葉、海山の風景を眺むる時、文芸美術の素養ある人にして其眼を通す時、言い知れぬ楽しさの湧くものである。吾等が理想とする地上天国は、「芸術の世界」といっても過言ではない程のもので、よく謂う真善美の世界とはそれであって、芸術こそ美の現われである。然るに今日迄案外閑却されてゐたのは如何なる訳であろうか。昔の高僧は絵を描き、彫刻を得意とし、堂宇まで設計するというように、美の方面に対して驚くべき天才を発揮してゐる。其中で最も傑出した宗教芸術家としては彼の聖徳太子であろう。太子の傑作として今も遺ってゐる奈良の法隆寺の建築や、その中に在る絵画彫刻等を覧る時、今から千弐百年以前に建造されたものとは、到底想像も出来ない素晴しさは何人も同感であろう。  

然るに一方粗衣粗食、禁慾的生活をしながら教法を弘通した聖者名僧も多く輩出したので、芸術と宗教は甚だ縁遠いもののやうに思われる事になったものであろう。之等は真善はあっても美が無い訳である。

此意味に於て、私は大いに芸術を鼓吹しようと思ってゐる。

信8 1949年5月10日
花による天国化運動

本教の目標である地上天国建設といふその地上天国とは如何なるものであらうか、言ふ迄もなく真善美が完全に行はれる世界である、勿論本教の生命である健康法も無肥料栽培もその具体化であり、又浄霊法は肉体は固より精神的改造でもあるが、それとは別に人心を美によって向上さす事も緊要である、美に就ては差当って今着手の運びになってゐる本教の新しい企画である、それに就て先づ日本の現状をかいてみよう。

美とは大別して耳と眼と舌の領分であるが、耳の方は今日ほど音楽の盛んな時代は先づあるまい、その原因としては勿論ラジオを第一とし蓄音機、録音盤等の発達も与って力ある、処が眼の方に至ってはただ演劇映画等によるだけで洵に心細い状態である、もっと簡単に身近に時間の制限がなく美の感覚に触れるものが欲しいのである、成程演劇や映画は眼を楽しませるものとしては上乗のものであるが、時間と経済と交通等の制約がある以上全面的に受入れる事は出来ない、処が吾等が茲に提唱する処のものは美の普遍化に好適である花卉の栽培と其配分である、一般住宅其他の部屋に花を飾る事である、現在と雖も中流以上の家庭には大抵飾られてゐるが、それだけでは物足りない、吾等の狙ひは如何なる階級、如何なる場所と雖も花あり、誰の眼にも触れるやうにする事である。

事務室の隅に書斎の机に一輪の花が如何に一種清新の潤ひを覚えしむるかは茲に言ふ必要はない、理想からいえば留置場、行刑場等に迄も一枝の花を飾りたいのである、そうすれば彼等犯罪者の心理に如何に好影響を与えるであらうかである、此様に人間の居る処必ず花ありというやうな社会になれば現在の地獄的様相を相当緩和する力とならう。

処がそうするには今日の如き花の高価ではどうにもならない、どうしても非常なる低価で手に入れるようにしなければならない、それには食糧生産に影響を与えない限り大いに花卉類の増産を図るべきである、これに就て今一つの重要事を書いてみよう。

日本は花卉類の種類の多い事は世界一とされている、又栽培法に於ても世界の最高水準に達してゐるといふ事で、彼の和蘭特産のチューリップなどが今次の戦争前越後地方に栽培され相当の輸出額に上ってゐた事や、白百合が神奈川県下に生産され英米に輸出し、年々増加しつゝあった事等は人の知る処である、吾等の調査によれば米人などは日本の花卉に憧れ米国にない名花珍種を要望してやまないそうであるから、今後は大々的増産によって外貨獲得の一助たらしめるべきである、処が此事は案外今日迄閑却されてゐたが今後は大いに奨励する必要がある、而も輸出高に制限の憂へがない貿易品であるによってみても大いに嘱望の価値があらう。

以上の意味に於て本教団社会部に於ても今回熱海梅園から数丁隔った地点に一万坪の土地を開発し日本に於る凡ゆる種類の花卉を蒐集し、模範的花苑を目ざし、大々的栽培に取掛るべく目下勤労奉仕隊員数十名が努力中である。

栄8 1949年5月8日
植物は生きている

私は庭の植木を手入れするのが好きで常に枝を切ったり形を直したりするが、時にはうっかり切り損ったり切りすぎたりする事が間々ある。又木を植える場合、場所の関係もあって、止むなく気に入らない所へ植える事もあり、周囲の関係上、木の裏を表へ出したり、横向きにしたりするので、その当座見る度毎に気になるが、面白い事には時日が経つに従い、木の方で少しずつ形を直すとみえ、いつかはその場所にピッタリ合うようになるのは実に不思議で、どうしても生きているとしか思えない。全く樹木にも魂があるに違いない。

この点人間が人に見られても、愧しくないよう身づくろいするのと同様であろう。これに就いて以前或年寄の植木屋の親方から聞いた事だが、思うように花が咲かない時は、その木に向って"御前が今年花を咲かせなければ切ってしまう"というと、必ず咲くそうである。だが私はまだ試してはみないが、あり得る事と思う この様に大自然は如何なるものにも魂がある事を信じて扱えば間違いない。以前ある本で見た事だが、西洋の人で普通十五年で一人前に育つ木を、特に愛の心を以て扱った処、半分早く七、八年で同様に育ったという話である。

これと同じ事は生花にも言える。私は住宅の各部屋々々の花は、全部私が活けるが、少し気に入らない形でも、そのままにしておくと、翌日は前日と異って好い形となっている。全く生きているようだ。又私は花に対して決して無理をせず、出来るだけ自然のままに活けるので、生々として長持ちがするというように、余り弄くると死んでしまうから面白くない。そこでいつも活ける場合先ず狙いをつけておいて、スッと切ってスッと挿すと実にいい。これも生物と同様弄る程弱るからである。又この道理は人間にも言える。子を育てるのに親が気を揉んで、何や彼や世話を焼く程弱いのと同様である。

そのようにして活けるから、私が活けた花は普通の倍以上持つので誰も驚く。一例として世間では竹や紅葉は使わない事になっているが、それは長持ちがしないからであろう。併し私は好んで活ける。三日や五日は平気で、竹は一週間以上、紅葉は二週間位持つ事もある。又私はどんな花でも切口などそのままにして手をつけない。処が花の先生などは種々な手数をかけて、反って持ちを悪くしているが全く笑うべきである。

栄220 1953年8月5日
感じの良い人

凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあるまい。処がよく考えてみると、処世上これが案外重要である事である。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのである。例えば誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くなり、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来るのは勿論である。故に忌わしい問題、特に争いは減ると共に犯罪も減るから、精神的天国が生まれる訳である。然もこの事たるや、金は一文も要らず、手数もかからず、その場からでも出来るのであるから、こんな結構な話はあるまい。というと至極簡単に思えるが、事実はそんな旨い訳にはゆかないのは誰も知るであろう。

というのはこれは外形的御体裁では駄目だからで、どうしても心からの誠が泌み出るので、その人の心の持ち方次第である。つまり利他愛の精神が根本である。これに就いて私の事を少しかいてみるが、私は若い頃から自分で言うのも可笑しいが、どこへ行っても人から憎まれたり、恨まれたりする事は余りない。親しまれ慕われる事の方が多いのである。そこでその理由を考えてみるとこれだと思う一事がある。それは何かというと、私は何事でも自分の利益や自分の満足は後廻しにして、人が満足し喜ぶ事にのみ心を置いている。といっても、別段道徳とか信仰上からではなく、自然にそうなる、つまり私の性格であろう。換言すれば一種の道楽でもある。そんな訳で徳な性分だとよく人から言われたものだが、全くそうかも知れない。然も宗教家になってから一層増したのは勿論である。そこで人が病気で苦しんでいるのを見ると、居ても立ってもおれない気がして、どうしても治してやりたいと思い、浄霊をしてやると、治って喜ぶそれをみると、それが私に写って嬉しくなる。それが為以前は随分問題を起し苦しんだものである。というのはもう駄目だと思ったら早く手を引けばよかったものを、本人や家族の者に縋られるので、つい利害を忘れて夢中になり、遠い所を何回も行って、暇をつぶし、金を使い、その揚句不結果になって失望させ、恨まれたり、愚痴られたりした事もよくあったもので、その度毎に俺はもっと薄情にならなければいけないと、自分で自分を責めたものである。

この私の性格が地上天国や美術館を造る援けともなったのであるから、こういう性格を神が与えたものであろう。例えば、結構な美術品や絶佳な風景を見ると、自分一人楽しむのは張合もないし、気も咎めるので、一人でも多くの人に見せ、楽しませたいと思う心が湧いて来る。という工合で、私は自分だけでなく、人に楽しませ喜ぶのを、自分も楽しみ喜ぶという事が一番満足なのである。

栄257 1954年4月21日
物を識るという事

この物を識るという言葉ほど、深遠微妙にして意味深長なものはあるまい。恐らく此語は世界に誇っていい日本語といえよう。然し簡単には判り難い言葉なので、今出来るだけ判り易くかいてみよう。

物を識ってゐるという言葉の意味を、解剖してみると斯ういう事になる。それは世の中の凡ゆるものを経験し、透徹し、実体を掴み何等かの形によって表現するという意味である。例えば或問題に対して、斯うすれば斯うなるという唯一つの急所を発見する事である。それに引換え大人気ない小児病的議論を振廻したり、軽率な行動に出たり、人から非難され軽蔑される事に気が付かないで平気で行う事がつまり物が見えない、物を知らないという人である。世間よく謂はれる、彼奴は未だ若いとか乳臭いとか、野暮天だとか言はれるのがそういう人間である。又識者という言葉があるが、之は物を識ってゐる人を文化的に言ったのである。

以上によってみても、今日の政治家などは物を知らない人が多過ぎる。大した問題でもないのに、無理に大きく採上げて騒ぎ立て、識者から顰蹙される事に気がつかないのであって、自己の低級さを表白する以外の何物でもないのである。そうして斯ういう人間に限って小乗的主観の亡者である。斯ういう小人物の行動によっていつも国会の能率は阻害され、国会の信用を傷つけられる。常に独りよがり的売名に一生懸命である。故に此の物を識らない人を言い換えれば没分暁漢でもある。

今日の政治の論議なども、長い時間を潰してもなかなか結論が得られないのは、右のような没分暁漢が多過ぎるからであらう。判った人が多ければ容易に一致点を見出される筈である。処が茲で困る事には、物の判った人はどうも出しゃ張りを嫌い、わからずやと争うのを避けようとし、つい温和しくなり、引込思案となる。処が没分暁漢共はこれを好い事にして益々出しゃばる。処が世の中は面白いもので、出しゃばると有名になる。有名になると選挙の時の当選率が高くなるので、其結果判った人はいつも少数となり、わからずやが多数を占めるという事になる。近頃の如く問題の論議に徹夜までしなければ結論を得られないというのはよくそれを表はしてゐる。

とはいうものゝ結局は判った人の意見が採用されるのも事実である。何よりも政界で頭角を顕はす程の人は出しゃばらないでゐていつとはなしに人望を博し重用されるのである。今の吉田首相などは、現政治家中一番物の判った人といえるであらう。

処がひとり政界のみならず、社会各面に於ける有能者といはるゝ人は比較的物の判った人であるのは自然の成行であらう。以上は精神的方面をかいたのであるが、次に他の面即ち物的の面をかいてみよう。

これを判り易くかくには、芸術的方面が一番いい、というのは物を識ってる人は、偉人型が多いと共に審美眼に於ても優れてゐるからである。

先づ、最先に採り上げたい人は彼の聖徳太子である。彼が仏教文化特に芸術方面に優れてゐた事は論議の余地はあるまい。今尚法隆寺その他に残ってをるものの何れも燦として光を放ってゐるに見ても明かである。又有名な憲法十七条は、日本に於ける法の基礎ともいえよう。次に挙げたいのは彼の足利義政である。彼が他の面では兎や角言はれるが、芸術方面に到っては立派な功績を遺した。彼の銀閣寺の如き建造物は固より、彼は支那美術を好み宋元時代の優秀なる芸術品を蒐めた外、日本美術を奨励し、珍什名器を作らせた事で、東山御物として今も尚、吾等の鑑賞眼を満足させてゐる功績は高く評価してよからう。

茲で、吾々が最も最大級の讃辞を与えたい人物としては彼の豊太閤であらう。彼が桃山式妍爛たる芸術文化を生んだ半面寂の芸術としての茶の湯に力を注いだ事で、それまで甚だ微々たる存在であった茶の湯を、一世の鬼才千利休を援け、茶道大成の輝やかしい功績を残した事も特筆大書すべきであらう。之等によって当時美術文化の勃興と共に名人巨匠続々輩出した。彼の小堀遠州や楽陶の名手長次郎の如きもそれである。彼は又義政に習い、支那日本の美術は固より朝鮮の名器までも蒐集し、日本の陶芸に新生命を与えたのも彼の業績である。茲で見逃し得ないのは彼の本阿弥光悦の生れた事である。彼光悦は画を描き、書を能くし、蒔絵に新規軸を出し、楽陶を作る等、何れも独創的のものでゆく所可ならざるなき多芸ぶりは、到底他の追随を許さないものがあった。而も彼が予期しない一大功績を残した一事は、彼没後百年を経て、日本が生んだ最高峰の偉匠尾形光琳である。彼は既に亡き光悦を慕い、出藍の一大名人となった。其他陶工仁清、乾山も挿まない訳にはゆくまい。その又流れを汲んだのが抱一で、彼も凡手ではなかった。

而も秀吉の傑出してゐる点は、彼が百姓の子でありながら、若年にして既に美術の趣味を解し、早くから名器を蒐めたという一事は洵に驚嘆すべきものである。普通世間からいえば物を識るまでには相当の苦労を重ね、而も中流以上の境遇を条件とするに対し、彼の如き卑賤より出でて殆んど戦塵の巷を彷徨し続け来ったに拘はらず、何時何処で習得したかは判らないが、あれ程物を知る人間となったという事は、実に稀世の偉人というべきである。

茲で、文芸の面を瞥見する時、何といっても歌人としては西行、俳人としては芭蕉であらう。此二聖の芸術は、物を識る人にしてはじめて成る作品であり、その代表作としていつも私の頭を去らないのは、西行の

 心なき身にもあわれは知られける鴫立つ沢の秋の夕暮 -と

芭蕉の

 閑かさやや 岩にしみ入る 蝉の声

である。

又今一人書落し難い物を知る人がある。それは不昧公の名で知られてゐる彼の松平雲州公である。彼が多数の珍什名器を聚め整理し、分散を防ぎ、萎靡せんとする茶道に活を入れたる其跡を見れば、彼も亦尊敬すべき人といっていい。

近代に至って物を識る人として、私は俳優故市川団十郎を挙げたい。これは自観随談に詳しく載せてあるからこゝでは略すが、兎に角大ザッパに代表的の数人をかいたが、物を識る人とは全く最高の文化人であって、彼等の業蹟が如何に後世の人々の魂の糧を与え、趣味を豊富にし、情操を高からしめたかは今更言うまでもあるまい。成程発明発見や学問の進歩も、人類文化に貢献する力は誰しも知ってゐる事ではあるが、右に説いた如く、物を識る人の業蹟が、如何に暗々裡に文化に貢献したかは、改めて見直す必要があらう。

地16 1950年8月15日
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