浄霊についての覚書
(1998年5月5日増補)


浄霊についての以下の分類で概説を試みております。御参照いただければ幸甚です。

浄霊について
浄霊の原理
浄霊の方法
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(1)浄霊について
 岡田茂吉師は、神の啓示に基づき、浄霊による救いの業を示されました。
神の御目的である理想世界―地上天国―の実相は、生命の安全が確保されていることであります。神が創られ、その直接の支配下にあるべき人間の生命の問題を根本的かつ永遠に解決できるのは、人間が造った科学の分野ではなく、“神の力”であり、“神の光”であります。愈々天の時来って、神はその“光”による救いの業の具体的な方法として浄霊を師に啓示されたのであります。

 浄霊とは、神に祈り、掌をかざすことによって、神の光を取次ぐことができる方法であります。

 浄霊によって、真の健康人、即ち精神・肉体共に完全な人間になることができ、生命を一番脅かす病気と戦争を根本的に解決できるのであります。

 神は地上天国を創る準備として物質面を先にされ、そのために神の実在を無視させて、人間の想念を物質面に向くようにされました。それによって物質文化は予定の線にまで発達した今日、ここに神は唯心文化を一挙に飛躍させ、両々相俟って真の文明世界を創造されるのであります。その第一歩として、神は、無とされてきた霊界の存在を普く人類に明示され、更に、長い間、神を無視してきた人々の魂を呼び覚まし、自らの実在を認識させようとされるのであります。その方法たるや科学では無論不可能であります。神はその大愛の発露として、神を全く認めない人々までも救わんと、それらの人々でさえも神の実在を認識できる方法として浄霊を師に明示されたのであります。

 浄霊は、御説教のように五官を介して浄める間接的方法と異なり、直接神の光を取次ぎ魂を浄める方法であります。したがって、もし取次ぐ人と取次がれる人に立派な信仰があるならば、魂の曇りをとって、これを覚醒させることができるのであります。

 浄霊による御救い(奇蹟)を通じて神霊の実在を認識させていただき、更に魂を浄めていただくことにより神意(神の御心)を正しくより深く覚らせていただき、善を行う立派な人間、神から与えられた自己の使命を覚り、それを全うできる霊肉共に完全な人間にならせていただけるのであります。そうして真の幸福をつかませていただくと共に、理想世界の住民としての資格を許される機会をいただけるのであります。

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(2)浄霊の原理
 霊と体で構成されている人間の病気を真に(根本的、永遠に)解決するためには、その根本原因である曇りを解消しなければならないのであります。

 曇りには、が魂を曇らし、それが心を介して霊体の曇りを生ずるものと、本来肉体に入れるべきでない薬剤などの物質を体内に入れることによって血液が濁り、之が霊体に移写して(霊体の)曇りになるものがあります。
 これらの曇りが一定量を越えると浄化作用が発生して曇りが解消すると共に、それが体に写って毒素は溶解排除されるので、その時の苦痛が病気の苦しみであります。
従って、曇りを新たに増やす(罪、薬剤、農作物に用いる肥料の如き)原因を除くと共に、現在保有している曇りを解消することによって、普通では消滅し難い薬毒をも除くことができるのでありまして、ここではじめて病気の根本的解決をも可能になるのであります。
細菌やヴィールスの、発生源は、これらの曇りでありますから、現代医学のように、たとえ黴菌を薬剤などで殺しても曇りが存在する限り、病気の根本的解決にはならないのみならず、かえってその薬剤が次の病原となってしまうのであります。無限小の曇りを解消するためには、科学で造る有限力では不可能であり、無限力である神の力(光)によらなければならないのであります。神の力(光)によって霊体の曇りを浄め、霊主体従の法則に則り、病気を、一時的な苦痛緩和法でなく、根本的に癒す業が“浄霊”であります。

 曇りは病気のみならず、その他一切の苦しみの因でありますから、浄霊は病気以外の苦しみの根本的解決法でもあるわけであります。また、曇りを浄めていただくことにより魂の霊層界での位が上り、それが現界に反映して幸福な境遇にならせていただけるのであります。
 師は、人間以外の生物、無生物への浄霊についても説かれています。浄霊によってすべての曇りが浄まり、一切のものは曇りがとれると、そのもの本来のよい働き、すべて人間の幸福を増すべき働きをするようになるのであります。
 例えば、肥料によって汚された土はその霊も曇っているわけですが、浄霊によって曇りが減ると作物を成育する力が旺盛になり、更に作物自体も浄まれば病虫害から免れるのであります。
 人間の罪による物質の曇りの浄化の一つである火事などの災害も浄霊によって免れ得ることをお説きいただいております。


 師は、浄霊による多くの事実を裏付けとして、霊界と霊界を支配する神の法則が存在することを教えられました。

 岡田師は、今までの宗教と科学を別々のものとして扱ってきた考え方に誤りがあることを指摘され、精神(経)に偏らず、物質(緯)に偏らない、両々一致した中正的新しい文化形態によって理想世界(地上天国)は実現するとお説き下さいました。そして、経に偏せず緯に偏せずして、経であり緯でもあるところの融通無碍の、いわば中庸的考え方の真理の現われの一つが浄霊であると御垂示くださっております。ここに、浄霊には神を無視してきた人々さえもお救いいただける可能性、科学との接触点をも含まれていると考えさせていただけると存じます。

 浄霊は、神を信じ、神に祈りお取次ぎするのが、本来のあり方であります。しかし、師は如何なる人間と雖もその方法を学ぶことによって、修行などすることなしにすこぶる簡単に実行でき、人による差はあっても、全く実行できない人はないと説かれています。

 岡田師は当時、自己の信仰に自信のない人、神を認めてない人に対しては、師がその人とともに祈ってあげるという目的で、師が祈りをこめて“光”の文字を書かれた紙片を祈りたたんで袋に入れ、それをお守りとして首にかけるようにされました。浄霊をいただく人は勿論のこと、取次ぐ人でさえもが浄霊を疑っていても同じように恵みをいただけるのであります。
しかし、師は、はじめ何もわからない内は疑ったり、反対したりしても、多くの恵みをいただけるが、年月がたち、数々の恵みをいただき、信仰に目覚める機会と時間を相当に与えていただきながら、神の御心に添わぬ場合、次第に恵みをいただけなくなることも教えられています。

 また師は、浄霊の今一つの特異性として、その目的が正であり善であり、人類愛的でなければならないとお説き下さり、取次ぐ者の誠の強さ、信仰の深さ(魂の高さ)、神への想念のあり方により、より多くの御恵みをいただけることを御垂示下さっており、慢心をいましめておられます。

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(3)浄霊の方法
 浄霊の方法は、原則として向かい合って座り数十センチメートル離れて手をかざすだけで、時間は10分から20分位であります。
 神に真剣に祈った後は、自分の力でなく、神の力をお取次ぎするのでありますから、神に全てをおまかせして、神の道具にならせていただくという気持ちで、手ならびに腕の力をぬいて、光が奥深く透るような気持ちでお取次ぎさせていただくわけであります。神の光を取次ぐのでありますから、それにふさわしいあり方で取次がせていただくわけでありますが、細かいことは周囲の状況や症状などによって臨機応変にするように説かれております。

 普通、向かい合って座り、前から取次いだ後、背中より取次ぐのであります。場合によっては、自己を浄霊させていただくこともできるのであります。
 霊体の曇り、特に浄化している個所を重点的にさせていただけばよいわけでありますが、曇りの浄化しているところは、体的には固結があり、しかも発熱しているのが普通でありますから、その個所を重点的に取次がせていただくのであります。
例えば、寒冒(風邪)の場合、種々な場合がありますが、首の周り、肩の附近の固結毒素が浄化して咳、喀痰などの症状になっている時は首、肩に発熱しておりますから、その部を主に浄霊させていただきます。
 頭の病気(頭重、脳溢血など)の時は、首の周り、すなわち淋巴腺、または後頭部(延髄部)の左右何れかに固結があり、腫れていると共に熱がある場合が多いのでこの部を浄霊させていただきます。中風などで腕や足の悪い人でもこの部〈頚)の浄霊で治していただけます。
 の激痛の際、胃の後(背部)の固結毒素の浄化による場合が多く、その時はその部(発熱している)を背部から前にむかって取次ぎます。
一般的に多くの場合(例えば眼病、心臓病、肝臓病、胃病、腎臓病等)背部から前に向かっての取次ぎの方を重点的にさせていただく場合が多いのであります。
 争いのもとになる不快感は、頭と頚、肩附近の微熱を浄霊することによってなくしていただけますし、怒りは鳩尾部の浄霊によってその気持をなくしていただけると説かれています。
 外傷は、その個所を重点的にさせていただくのであります。

 その他、個々の病状については、それぞれについての教えや、当時師への質問に対する解答の記録などを参照されたいのであります。

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