古美術



本阿弥光甫(1601〜1682)

 琳派の中でもう一人、光悦の孫、本阿弥光甫という人物が、光悦と光琳の二つの頂点の間に活躍していました。光甫は、光悦の伝記「本阿弥行状記」を著した人物です。
 光悦村において光悦と彼を取り巻く芸術家たちとともに活躍し、陶芸面で独特の佗の世界を作り出しました。特に空中信楽といわれる信楽土を用いた陶芸でその名を芸術史にとどめました。作品は佗の精神に町衆の粋を加えたもので、光悦と光琳との中間期の時代を反映しています。
光甫 空中茶入
本阿弥光甫作 空中信楽茶入




 以下、岡田茂吉師(明主様)の言及した芸術・美術作家の名前を列挙してみます。


絵画

周文 山水図
周文筆 山水図
 絵画では牧谿(13世紀)、梁楷(13世紀)、周文(15世紀)、相阿弥(16世紀)に始まり、すでに記した琳派作家を経て、岩佐又兵衛(1578〜1650)、 円山応挙(1733〜95)と続いたあと、岡倉天心(1862〜1913)のもと琳派の再興をなした横山大観(1868〜1958)、 菱田春草(1874〜1911)、竹内栖鳳(1864〜1942)、 川合玉堂(1873〜1957)、 橋本関雪(1883〜1945) 等をあげておられます。また作品では、「伴大納言絵詞」(12世紀)があります。浮世絵では菱川師宣(1618〜94?)、 鈴木春信(1725〜70?)、 喜多川歌麿 (1753〜1806)がいます。




彫刻

 彫刻では、天平時代の仏像彫刻を筆頭に、運慶(1148〜1223)をへて平櫛田中(1872〜 )、 佐藤(朝山)玄々(1888〜1963) をあげておられます。日本独特の技術としての蒔絵では、光悦、光琳を筆頭に、近代では白山松哉(1853〜1923) をあげておられます。陶器では、仁清、乾山を筆頭に古瀬戸(14〜16世紀)、 古備前(16〜17世紀)、 古九谷(17世紀)、 古鍋島(18世紀)を経て祥瑞(17世紀前半)に至りますが、桃山時代(16世紀)に千利休(1522〜91)によって大成された茶の湯の精神を持った茶碗の陶芸では、楽焼の祖長次郎(1516〜89)もあげておられます。
瀬戸黒茶碗
桃山時代 瀬戸黒茶碗






光悦 源重之
本阿弥光悦筆
岩佐又兵衛画
歌仙絵 源重之
 書では、「かな」で、光悦を筆頭に、小野道風(894〜966)、紀貫之(866〜945?)、藤原定家(1162〜1241)、西行(1118〜90)から、現代では尾上紫舟(1876〜1957)があります。「漢字」では王義之(303〜61?)から大澄国師(1282〜1337)、無準師範(13世紀前半)から近代の貫名海屋(1778〜1863)をあげておられます。





天平文化(8世紀)


天平 水瓶
天平時代 水瓶
 あと一つ、見落としてはならない物に、天平文化の遺物があります。その代表が正倉院御物です。ここには天平時代の高度な理想追求社会における、技術の粋をつくした作品が収められています。数多くの装飾品や、楽器、家具等に、天平時代の美しい線や、色を見ることができます。芸術的、美術的に非常に高度な天平時代の作品を見ておかなければならないと思います。
 なお正倉院には聖武天皇が日常使われていた物や、東大寺大仏開眼供養に用いた物、及びそれらに関する資料などが収められております。資料は歴史的、考古学的には価値あるものですが、美術的に価値のあるものは、その時最も権威を持っていた天皇家にあった物に多く見られます。また日本で作られた物と、中国やペルシャで作られた物が混っていますので、当時の世界文化の流通を見ることもできます。天皇が使っていた物の形、バランス、模様のデザインや色を見て日本文化の根幹をなしている天平時代の高度な文化を深く知ることができます。ガラス玉の色は変化することが少ないので、その当時の人間の感性の高さを見るには貴重なものです。


参考品
天平 磚仏
天平時代 三尊磚仏
華厳五五所図
平安時代 華厳五十五所図断簡